賀堂流の歴史
賀堂流の歴史
崇吟社(故)初代宗家 礒部賀堂先生
賀堂流の歴史は、日本が近代国家として成長するのと機を同じくして、明治26年7月、姫路市東郷町に古くから種苗業を営む松下家の三男、捨三郎が産声をあげたときに始まる。
家業に務める捨三郎は、日露戦争後(当時12歳)姫路藩の詩吟を継承する漢学者・西村宣孝師に師事し、続いて明治40年頃から文学士・宮田勝三郎師について吟詠法を修得した。それと前後して、謡曲についても精進し、人並み優れた音感と天分豊かな声量に加えて努力励行、遂に指導者として立ち、雅号「賀堂」を名乗る。後に礒部家に入籍、城巽青年団長、姫路市連合青年団理事として体育面を担当する傍ら、謡曲「松緑会」を結成し、土地柄か軍人の門人も多く指導している。この間にあっても詩吟の詠法研究を怠らず、30有余年研鑚を重ね、豪壮にして幽麗な吟法を確立させ、昭和5年頃には一家を成すに至った。
やがて時節到来、礒部賀堂には国策に合わせて、青年層を奮い立たせることを目的に、昭和9年、姫路朗吟奨励会を組織し発足させた。これが姫路朗吟会本部の前身であり、この時の入門者の中に、(故)田村賀峰師、(故)山本賀省師の名が見える。
以上が、賀堂流の濫觴(起源)である。
初代宗家礒部賀堂先生朗詠
1.城山、兵児謡、題児島高徳書櫻樹圖、本能寺 朗詠時間:9分32秒
2.伴奏入り-題児島高徳書櫻樹圖 朗詠時間:3分08秒
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伴奏入り-題児島高徳書櫻樹圖
吟道賀堂流
白鷺城